溶けていく現代歌壇。型に流れる現代歌人。
日本人が書く天才モデルには必ずと言っていいほど「石川啄木」と「宮沢賢治」が出てくるような気はしていたが、そこにも啄木はいた。
「天才」と呼ばれる存在に心奪われていた時代。湯川秀樹著「天才の世界」に出会った。
対談形式で語られる軽い内容の本ではあるが、渋民村のなにがどうたらとか、啄木についてはやたらと詳しい人だなあという印象をもった。
それから十年くらい経ってからだろうか、湯川秀樹博士が歌会始め召人に選出されていたと知り、その瞬間わたしは率直に言って違和感を覚えた。だがその感覚は、世界的な「物理学者」湯川秀樹という名前から放たれる輝かしい栄誉や業績に囚われていた、わたし自身の先入観や偏見に由来するものだということも自覚していた。
それと同時に歌会始めって、なんなの?という疑念が芽生えたのもこの瞬間だった。
歌人の定義についての再確認
ここではまず歌人の定義について調べたことと、それについて思ったことを淡々と書き記していくことにする。
第一に、「作品の公表と客観的な評価」です。これは、自作が趣味の領域を越えて、社会的な評価の場にさらされていることが重要な条件となります。具体的な例としては歌集の出版ですが、他には新聞、雑誌等の短歌欄への投稿で、専門家による評価を得ていることも立場を保証するものとなる。
ただし、歌集の出版歴については、もとより営利を目的としない記念的性格を帯びていることから、商業出版された数よりも、私家版の方が多いと考えられる。したがって、その価値は単に出版した事実ではなく、刷り部数や流通規模といった数的指標によって評価されるべきだと考えている。投稿欄での評価についても一過性のものではなく、継続的な評価が重要です。
第二に、「専門性と研究的視点」です。ようするに、短歌的技巧を解説したり、万葉集から古典の系譜、近代短歌の変遷などを探求し、理解し、短歌史に精通した人物として、独自性がある批評や論文を展開できる専門家であるということです。
カウンターとしての専門知識はあればあるほど良い。しかし、このような知識は往々にして、才能に乏しく胡散臭い輩が自らを権威化するための手段として機能している側面ももつため、このタイプの作品には特に注視する必要がある。
なぜなら、短歌の本質は知識の多寡にあるのではなく、一瞬の心理を射抜く直感にあるからです。
第三に、「選者としての活動と次世代の育成」です。他者の作品を評価し、その価値を決定づける役割は歌人の社会的地位を象徴するものとされている。
これを前提にすると、短歌結社の主宰などが、この条件に入ります。ただし、短歌結社の主宰が組織を維持し、次世代を指導するという体裁は、文化の継承という大義名分を掲げますが、その実態は、「歌人」と呼ぶにふさわしくない連中が、限られた小さな世界で権力構造の再生産をしているだけに過ぎないという意見もある。
とりわけ、主宰自身の作歌力が不十分な場合、その作品に惚れこんだ人材よりも、文化人面を下げたいだけの輩が集まりやすくなり、その結果、「学閥」に象徴されるような、内実を伴わない評価と人選が循環する危険なループが生じ、このような批判が顕在化しやすくなる。
第四に、「職業としての実態」です。原稿料や印税で生計を立てられているかということですが、短歌だけで生活ができている職業歌人は残念ながら皆無です。
それでも、短歌を主たる表現手段として、社会に寄与している自覚があれば職業歌人として成立するらしいです。
これについては、歌人は度胸というほかない。
以上の条件を改めて確認してみると、それらはいずれも歌人の立場や影響力を形成する要素であっても、その価値を最終的に担保するものではない。
やはり優先されるべきなのは、「歌人」という属性ではなく「短歌」そのものの価値である。
湯川秀樹という歌人は存在していたのか
結論から言えば、「存在していない。」と、わたしは答える。
上記に見る歌人の定義からいえば、歌集「深山木」(私家版)を上梓されていること、不定期ではあるが、歌作をつづけてこられたこと、古典和歌などへの造詣が深かったことなどは、湯川秀樹博士を「歌人」とする条件は辛うじて満たされていると言えなくもない。
でも、これとまったく同じ条件を、どこの馬の骨かもわからない短歌結社のモブキャラ会員に置き換えた場合、誰がどうして「歌人」と認めるだろうか?
無理ですね。せいぜい、どこぞの結社会員のイカれた子供か孫の心の拠り所として「じいちゃんは、あの有名な歌人と同じ短歌結社で肩を並べて学んだ文化人だった」と、妄想のネタになるくらいです。
では、同じ条件下にある湯川秀樹博士とモブキャラの何が違うというのでしょうか。
すでに答えを書いているようなものですが、これはもう主役と端役の差であり、さらに言えば舞台演出家などによる都合によって割り振られた配役の違いにすぎない。つまりは世間の目(社会的承認)がそれを決めるということだと思います。
では、ここで主役と端役の決定的な違いを書いていきましょう。
湯川秀樹博士は日本人初のノーベル賞受賞者として世界的な知名度(可視性)があり、教養人として、知識人として象徴的な存在として日本社会に君臨(配置)し、その発言は常に記録され、引用される立場にあった。
湯川秀樹博士は舞台に立つ前からスポットライトを浴びていた。モブキャラは暗転した客席側にいたのです。
つまり、舞台に上がる前から差はついていたということになる。
短歌を詠むという行為は同じでも、湯川秀樹博士が詠めば、世界的物理学者が詠んだ心の内面(知の余白)として意味が生まれた。モブキャラの場合は日常生活の些事として扱われた。
この時点で誰の目にも二人の配役が目に浮かぶようになってくる。
そして、二人の配役に決定的な決断を下す存在が現れる。湯川秀樹博士の評伝を書く人、湯川秀樹博士の思想に乗っかりたい平和活動家、湯川秀樹博士の短歌を論じる人などです。湯川秀樹博士と短歌を結びつけて語る人の多くは、知の巨人「湯川秀樹」が放つ圧倒的な存在感に逆らうことを恐れて、歌人としての存在までも肯定する。対してモブキャラには畏敬の念を抱く人はなく、これを書く人もいなかった。
「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」これは広島に建立されている平和の像に刻まれた湯川秀樹博士の一首です。
このようにして、湯川秀樹博士とモブキャラの配役は固定化される。
さらに、残酷な時間は流れつづける。湯川秀樹博士のように巨大な存在が一度でも「歌人」と語られだすと、その名のあとには「歌人」という肩書までが年譜に載り、事典に入り、授業やコラムなどで繰り返される。
こうした反復作業が繰り返されることで、「歌人、湯川秀樹」という配役はついに自然化される。
この先に待つのは、誰が忘れられ、誰が引用され、誰が残るかです。配役は才能や条件で決まるわけではない。また、一人の判断で決定づけられるものでもない。
配役は偶然・制度・語り・反復・時間の合成物ということになるらしい。だからこそ、主役は選ばれたのではなく、気づいた時には主役にされていたということになるのだ。
湯川秀樹博士は「歌人」吉井勇さんらが刊行した歌誌「乗合船」の同人として、短歌を詠み、歌集「深山木」も出版している。しかし、これらの作品群は一般的な文学史の中で広く認知されることはなかった。
広義に捉えれば、短歌を詠み、それをまとめた歌集を刊行した事実は湯川秀樹博士を歌人とする実績にはなる。しかし、その肩書は皮肉なことに、同時代の歌壇が量産したモブキャラの存在によって、特別なものではなくなり、評価の中心から外れ目立たないものになった。
評価条件がここまで希薄化してしまえば、狭義の意味、すなわち専門的、文学史的観点から湯川秀樹博士を歌人として明確に位置づけることは困難になる。
最後に決定的な事実として、湯川秀樹博士自身が生涯にわたり自らを「歌人」と自称することはなかったということです。
宮中歌会始めとは、歌会始め選者に選ばれる条件
湯川秀樹博士が辿った道程をなぞっても彼の後継者にはなれない
漠然と、でも確信にちかい感覚として、「宮中歌会始め召人」湯川秀樹博士の後継者が歌壇から生まれることはないという思いがあった。
その根拠があるとすれば、これまで述べてきた言葉の連なりにほかならない。湯川秀樹博士は模倣可能な制度的モデルではなく、戦後日本が要請し、待ち望んだ知の象徴だったからです。
湯川秀樹博士は再現されうる「型」ではなく、固有の歴史条件のもとで一度きりの主役として配役された存在だったのだ。そのような人と自らを重ね見ながらも、なお後継である可能性を排除しきれず、その影を払えない状態にある人がいる。それは、すでに端役の論理に足を踏み入れている証左だというのに。
人はそれを妄想と言う。だが、その妄想がどこから来るものなのかはわからなかった。
そこで、まずは湯川秀樹博士がどのような理由から宮中歌会始め召人に選出されたのか、その背景を明らかにする必要があった。
湯川秀樹博士が宮中歌会始めの召人に選ばれた背景と、その功績
湯川秀樹博士には恐れ多くて申し訳ないけど、そりゃ、どんな駄作であったとしても、湯川秀樹博士作と認知されている時点で、その稀少性から価値が生まれるのは、この世の習いやんけ。
その稀有な存在は、触れていくあらゆるものに価値を与えていく。たとえば、使用後の爪楊枝だってそうだ。
「あの有名な写真を撮った日の夕食後に、博士がしーしーしていた物です。」とストーリーを与えられていたらもう大変。
まあ、さすがに使い古しの爪楊枝と短歌を混同して語るのは無礼にもほどがあるとは思うけど、下々の視点なんて、その程度のもんで信頼性なんてありゃしない。
そんな下々を相手に一儲けをたくらんでいる人間性なんて、なおさら信用できるわけがない。
でも、あえてわたしは、このような前提があることを否定はしない。
第一に、湯川秀樹博士が召人を務めた昭和31年に、歌会始め選者を務めていた一人に吉井勇さん(在職期間・昭和23年~社会35年)がいたことは見逃せない。二人の関係性から一定の「推し」が働いていてもおかしくないだろう。もっとも、それは単なる縁故や名声への迎合を意味するものでないことくらいは、わたしにも理解できる。湯川秀樹博士自身が歌詠みとして築かれてきた信頼があってこその「推し」ですけど、選者の一角を占める人物と近しい関係にあったという事実は見逃せない。
第二に、歌壇全体の思惑を邪推すると、ノーベル賞という世界的「栄誉」に便乗したい気持ちがあっても不思議ではない。
「栄誉」とは、それ自体にのみ価値があるものではなく、その他の「栄誉」の価値を最大化し、相互に補強し合う装置でもある。
宮中歌会始め制度もまた、その例外ではない。
歌壇の影響力が相対的に低下しつつあった戦後社会において、湯川秀樹博士という世界的知名度と知的権威を備えた人物を召人として迎えたことは、歌会始めひいては歌壇そのものの権威を再度世に知らしめ、衰退を緩め延命を図る効果を持っていたはずです。
昔も今も、年中衰退が囁かれる歌壇側に、このような意識や思惑があったとしても不自然ではない。
「栄誉」とは、「魔力」と言い換えてもいいほど魅惑的なものなのです。それが弱体化していくことが目に見えている組織であればなおさらである。
このような視点で見れば、「湯川秀樹」という唯一無二の存在は、歴代の歌人が誰一人なしえなかった、世界規模の知識人に愛される文芸という領域にまで和歌(短歌)の価値を押し上げると同時に、歌人の地位までも押し上げた歌壇最大の功労者と呼べるかもしれない。
しかし、歌人の地位までも押し上げたのは余計な事だった。ただ、おもしろいことに、これが後の歌壇の衰退を招く一因となっていくのだから皮肉なものだ。
それにしても、巡り合わせというべきか、タイミングというものはありますわな。湯川秀樹博士は召人として推挙される時期が絶妙だった。
まさに「時の人」だったわけだ。
湯川秀樹ブランドへの憧れが歌壇を壊す
現代歌壇には、教授職につく歌人が想像以上にいる。彼らの多くは短歌結社を運営し、主宰を名乗り、歌壇の支配層に名を連ねている。では、その中の何人が、湯川秀樹博士の姿に自らを重ね見ているのだろうか。
言うまでもなく、湯川秀樹という存在の代替えになる人物は、未だ出現していない。また、その候補と成り得るだけの世界的実績を備えた大人物もいない。しかし、歌壇には「その候補であるかのように振舞う者」が、いつ出現してもおかしくない現実がひかえていることを理解しておかなければいけない。
このような危険性を察することは、湯川秀樹博士を深く知る人であればあるほど自明のはずだと思っていた。だが、わたしは甘かった。世の中には自分を客観視できない人が驚くほど多く存在する。それは如何なる立場の人間であっても、たいした違いはない。
不思議なことに、こうした錯覚に陥るのは、一般的に「優秀である」と評価されてきた人に多い。何故かといえば、そこには親子関係や師弟関係に通じる構造があるからだ。尊敬や同一化への欲望が、いつの間にか距離感を失わせ、自らを特別な存在であるかのように錯覚させてしまうのです。
ところが、そんな知識人を多く抱える「現代歌壇」も、すでに、わたしには腐った海のような場所に見えていた。ひとたび、その波間に足を踏み入れたなら、即死してしまいそうな危うさを孕んだ世界だった。
自らの権威化に余念がない一部の自称歌人たちは、煌びやかな世界を利用しながら、その権威を自身に繋がる一族郎党へと移譲することに執念を燃やしている。しかし、その一方で歌壇という制度の内部では、まったく別の光景が広がっている。
それは、売れっ子の人形が、型押しの中から大量生産されていく工場の表側とは対照的に、裏側では止めどなく汚水が垂れ流される情景に似ている。何の疑いも持たずに、その環境に生きるものたちは、無自覚のまま毒素が沈殿した汚水を飲まされつづけていることにも気づかない。
こうした場所から歪んだものが生まれてしまうのは、もはや偶然ではない。そこに生まれた奇形種は、やがて、その構造までも歪めてしまうのだ。
最後に、本場アメリカの野球史をリアルタイムで塗り替えている大谷翔平選手は、2023年WBC決勝前に「憧れるのをやめましょう」と語ったという。
その真意をとらえられるのは、憧れの対象を乗り越えられるだけの力を、すでに自らの内に備えている人だけでしょう。
湯川秀樹博士という唯一無二の存在は、後世に生きる私たちに対し、その世界の第一人者になるような人物は、もはや誰かに憧れることはないのだ、というメッセージを送り続けているように思える。
もし、そのような人物が現れたなら、その人自身を疑え、その人を生み出した世界そのものを疑え、と言っているように、わたしには聞こえるのだ。
「宮中歌会始め」こちらも、また、変革の時期を迎えているのではないだろうか。
